趣味

リサーチ・クエスチョン

 「日本労務学会誌」(2024.6、第25巻第1号)をパラパラとめくっていたら興味深い書評に出くわした。中村天江「マッツ・アルヴェンソン、ヨルゲン・サンドバーグ著『面白くて刺激的な論文のためのリサーチ・クエスチョンの作り方と育て方』(佐藤郁也訳、2023)である。早速、本書を取り寄せて読んだのだが、私は三つの意味で驚いてしまった。
 私の驚きは後にして、ごくごく簡単に本書の主張をまとめると次のようである。「社会科学系の多くの分野で興味深くかつ大きな影響を与えるような研究が非常に少なくなっていることへの懸念が高まっている」(pp.5-6)。翻訳者である佐藤郁也(『暴走族のエスノグラフィ―』(新曜社、1984年)の著者!)の言葉を借りれば「続々と大量に生み出されている紋切り型の論文のツマラナさ」(p.259)が出発点である。その原因を探るために、「経営学、社会学、心理学、教育学系の」「国際的な評価が高い学術ジャーナルに掲載された論文」(p.45)を119本(p.53)取り上げ、リサーチ・クエスチョンの構築方法に焦点を当てる。その結果わかったことは、ほとんどが先行研究のギャップ(隙間)を見つけ、それを埋めるという手続きでリサーチ・クエスチョンを構築していたということである。
 発見されるギャップの種類には①先行研究が対立している、エビデンスがまちまちで相互に矛盾している、②先行研究で軽視、無視されている領域がある、③先行研究の対象に対して、これまでとは異なる理論を適用する、がある。私見ではあるが、アメリカで構築された理論を日本に適用するなどは、②にあたるのかもしれない。
 二人の著者が提案する方法は問題化(problematization)である。先行研究の前提(assumptions)に挑むような形で、リサーチ・クエスチョンを構築するという方法である。
 なぜ前者がツマラナイ論文を生み出すことになるのか、後者が具体的にはどんなことか、なぜ後者だと「面白い」論文を生むことが多くなるのか。これらについては中村氏の書評そして本書を読んで欲しい。
 私は、「へえー」と驚きながら本書を興味深く読んだ。第1に、国際的に評価の高い一流ジャーナルに投稿するという風潮が、経済学を越えて、多くの社会科学の分野に広がっていることである。実験心理学や数学を活用した経済学ならば、国を越えて、議論することは可能だし、容易だと思う。だが、制度や文化、習慣の異なる対象について研究する社会科学では国際的に共通の土俵で議論するのは難しいと私自身は思う。もちろん、類似点、相違点を互いに認識しあうことには大きな意味があろう。そして、ある対象につき国際比較をしている研究ならば、そうしたジャーナルに掲載する意味があろう。だが、それでも国際的な一流ジャーナルへの投稿を余儀なくされる若い研究者たちの苦労を想うと、切なくなる。
 第2に、隙間を探して研究課題を構築するというのは、私のこれまでの経験とは全く異なる。もちろん、国際的な一流のジャーナルに投稿したこともなければ、そんな気持ちになったこともない私だからこそかもしれない。師匠から「・・社会科学においては、学問の性格上、特定の対象にたいする熾烈な問題意識、問題解決にたいするはげしい情熱が認識の起点であった」1「私は、社会科学上の研究は、特定の社会現象を社会問題と認識することから始まると考えている」2と教え込まれてきた私にとって、先行研究の隙間を探すような方法でリサーチ・クエスチョンを構築することなど考えたこともなかった。もちろん、既に引退した古臭い研究者のたわごとかもしれないが。
 この点とも関連するが、第3に、リサーチ・クエスチョンの構築の仕方を教える、あるいはそれを教わるというのも、私にとっては驚きであった。「熾烈な問題意識を持つ」ことの大切さを説いたとしても、クエスチョンの構築の方法を教えたことなどなかった。もちろん、二人の著者が提唱する問題化(problematization)の方法がおかしなものであるなどとはまったく思っていない。たとえば私の『壁を壊す』(教育文化協会、2009年、2018年)は、非正規の組織化(の遅れ)に対して暗黙のうちに持たれていた前提(assumptions)-企業別組合のリーダーたちの怠慢、あるいは非正規労働者たちの忌避-に挑戦した作品であると解釈することは可能である。その意味で、社会現象に対する問題意識をもちつつ、本書で言う問題化(problematization)の方法を採用するのは、「面白い」研究を生むことにつながるかもしれない。
 私が、この文章を書いたのは、リサーチ・クエスチョン構築の第三の方法を提案するためではない。そうではなく、私自身が行ってきた調査研究を素材に、どのような問題関心をもち、どうやって自分なりのクエスチョンを立てたのか、その際、先行研究をどう読んだのかをつづってみたいと思ったからである。その中から「良いクエスチョン」を構築し、「面白い」研究をしていくためのヒントを、若手研究者に示すことができるかもしれない。もし、そんなことが起こればいいなあと思う。国際的な一流ジャーナルに投稿したこともない私のことだから、ヒントなどまったくないのかもしれない。それでも、なんとかお役に立ちたいと願う。
 書斎の「私の主張」に連載を計画している。

(1) 氏原正治郎「冗舌的社会政策論-社会科学的認識の原点に帰れ」社会政策学会編『社会政策と労働経済学 社会政策学会年報 第16集』(御茶の水書房、1971年、所収)
(2) 氏原正治郎「社会問題の社会科学」日本労働協会雑誌、第246号、1981年

講演と観光

 2023年度は講演を9回、行いました。地方での講演は京都、新潟、大阪、愛媛、青森の5つでした。これまで首都圏での講演も地方での講演も、講演の後は、その日にすぐ帰るか、翌日の朝に帰るかでしたが、昨年秋から、少し観光してみようと思うようになりました。まだ、2回しか、実行できていませんけれど。
 最初は愛媛です。講演の翌日に、松山城に登り(結構、坂がきつかった)、その後、路面電車に乗って道後温泉まで行きました。温泉には入らず(午前中だったし、手ぶらでしたので)、正岡子規記念博物館に立ち寄りました。正岡子規といえば、あの強烈な横顔写真、「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」、ベースボールの紹介者くらいしか思い出せませんでしたが、博物館でいろいろ学びました。16歳で東京に出てきたこと、当初は政治家志望だったこと、東京大学に入学したこと、古今の俳句の整理、分類をしたこと、夏目漱石と友達で、一緒に暮らしたこともあったことなど、いろいろ知識が増えました。ちょっと、変わった、面白い絵も描いていました。
 この2月には青森です。まずはねぶたの家「ワ・ラッセ」という観光施設を訪れました。実物のねぶたを観るのは初めてです。2023年度に賞を獲得した三点が展示されていました。まずその大きさにびっくり。ねぶた師という作家が最初のデザイン(設計図)、立体の骨格作成(針金で骨格をつくる。小さな和紙を貼るのは別の作業者)、作図(絵具を塗っていく)を主導していく(おそらくは弟子たちが手伝うのだと思いますが、そこは確認していない)のに驚きました。ねぶた師は少なく、その中に女性が一人だけいました。人件費だけでなく、材料費もかかるだろうなあと思いましたが、費用は企業あるいは企業グループが負担するのだそうです。
 大賞は以前は「田村磨賞」(現在はねぶた大賞)と言ったそうですが、えーっ、あの初代征夷大将軍の「坂上田村麻呂」ですか!と、中学で一度だけ習った人名をすぐさま思い出しました。
 次に好きな版画家(板画というのだそうですが)である棟方志功記念館に行きました。こじんまりとした展示室で、じっくりと板画を鑑賞することができました。棟方さんが板を彫り、板画を摺っている過程を映したビデオが上映されており、なかなかに興味深いものでした。ビデオでは、板に顔をすりつけんばかりにして、鼻歌を歌いながら、作業を進めていく姿が映されていました。極度の近眼だということは知っていたのですが、独眼だったというの初めて知りました。
 また、版画を描くようになるまえに、油絵をいくつも描いていたこと、ねぶた師から絵の手ほどきを受けていたことがわかり、新たな面が見えてきました。
 青森では、私のミニ観光に付き合ってくださった方がいて、とても助かりましたが、ご迷惑をかけて申し訳ないと今でも思っています。これからは一人で、こっそりと、ミニ観光を楽しむことにいたします。

料理

 料理は若いころから普通にこなしている。土日の朝食と夕食は、勤めている時でも私の役目でした。特に規則があったわけではないけれども、それが普通だった。和食、中華、洋食、なんでも作る。
 発端は檀一雄の『檀流クッキング』(1975年、中公文庫)と東海林さだおの『ショージ君の「料理大好き!」』(1981年、平凡社)です。特に、檀さんから学ぶことが多かった。たとえばソーメンや釜揚げうどんのツケ汁の作り方についてこう書いている。「そのツケ汁の簡単なつくり方を申し上げれば、まずダシコブを水の中につけて置いて、火を入れ、煮立ってくる少し前に、削ったカツブシを加え、好みの酒やみりんを加え、淡口醬油で味をつけて、沸騰まもなく火をとめ、カツブシやコンブをとりのぞく」(p.70)。調味料の分量が記されていない。つくる人が、自分の舌に合わせて、適当な分量を決めていけばよい。試行錯誤をしているうちに、適量が決まっていくはずだ。この思想がいい。とにかく、料理を作って、何度か失敗し、落ち着くところに落ち着くはずだ。そう思わせるガイドブックから始めたことが、これまでずっと続けられてきた秘訣だと思う。
 正月のおせち料理も毎年、作っている(日本にいるときは)。おせちを作り始めた時に買った『マイライフ・ブックス14 おせち』(グラフ社)の発行年が1986年だから、30数年前から作っていることになる。このガイドブックは今でも年末になると活躍する(年に1回だけ)。おせちを作るようになったきっかけは、市販の「伊達巻」が甘すぎて、美味しくないからである。魚のすり身を買ってきて、卵を7,8個使って、作るのである。なかなかに難しい。
 4人の孫が家に来てくれる時には、私が、ほとんどすべての食事を作る。「じいじの作るごはんは美味しい」と言ってもらえるのを楽しみにして。

ウォーキング

 週に3、4回、ジムに通っている。もっぱらマシンの上で歩いているだけである。目的は以前は減量、現在では体重維持のためである。なぜ体重を気にするのかといえば、お酒を好きなだけ飲むためである(たくさん飲むということではない。少なくはないが)。
 正確には覚えていないが、20年ほど前に、街道ウォークに挑戦したことがある。手始めは日光街道21次であった。「完全踏査街道マップシリーズ ちゃんと歩ける日光道二十一次」(五街道ウォーク事務局)という詳細な地図を手に入れて日本橋から歩き始めた。街道ウォークといっても、宿泊しながら歩き続けるわけではなく、1日5時間ほど歩いて帰ってくるというのを繰り返し、最終的に日光東照宮までたどり着くというものである。もっぱら土曜日に歩いた。ある日は、電車で南越谷(JR武蔵野線)まで行き、そこから東武動物公園駅(スカイツリー線)まで歩いて、電車で帰ってくるということになる。埼玉県の北部、栃木県にはいると、そこまで電車で行くのに1時間30分から2時間以上かかり、5時間歩いて、電車に乗って帰る。ウォーキングを開始した駅まで電車で25分くらいでつく。「そうか5時間歩いて、25分で戻ってくるか」とだんだん虚しさが募るようになる。それでもなんとか日光街道は踏破した。最後は二人で歩き、金谷ホテルに泊まった。
 次に、「完全踏査街道マップシリーズ ちゃんと歩ける甲州道中四拾四次」(五街道ウォーク事務局)を手に入れ、甲州街道にもチャレンジしたが、これは見事に挫折した。日本橋から相模湖までは歩いたのだが、相模湖から歩き出した場合、最寄りの中央線の駅は40キロ先で、とても5時間では歩けないことが判明。上で指摘した「虚しさ」もあり、相模湖で中止することにした。
 街道ウォークをやめて、山歩きをすることにした。ある駅で降りて、山を目指して歩いて、帰ってくるというウォーキングである。これならば「5時間歩いて、25分で戻ってくるか」という虚しさも味わうことなく、楽しく歩けると思ったからである。そこで、『大人の遠足BOOK 駅から山あるき 関東版』(JTBパブリッシング、2007年)を購入して、埼玉県、東京都を中心に山歩きをした。ある時、山奥まで歩いたとき、『熊の目撃情報あり、注意されたし』という看板を見つけた。いったい、何に、どう注意すればよいのかわからず、腹が立った。そこで、山歩きを止めることにした。
 やっとたどり着いたのが街中を歩くことである。『大人の遠足 駅からウォーキング関東』(JTBパブリッシング、2013年)、『大人の遠足 東京 下町・山手ウォーキング』(JTBパブリッシング、2015年)、『東京 自然を楽しむウォーキング』(JTBパブリッシング、2016年)を次々に購入して、街中歩きを楽しむことにした。たまには美術館にウォーキングを兼ねて行くこともある。2023年の春はアーチゾン美術館(旧ブリジストン美術館)に3回も行ってしまった(東京駅の丸の内側からは結構、歩く)。最近は二人で街歩きをすることが多い。

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圭介教授の談話室